TRIGGERファンの私がŹOOĻのことをどうしても許せないまま第4部が終わってしまった話
始めに言っておきたいのが、これは単なる備忘録だ。
別に誰かを糾弾したいわけでも、同意してほしいわけでもない。
今自分が抱いている感情をどうにかして形にしておきたかった、ただ1TRIGGERファンの気持ちのカケラだ。
抱え続けるのに疲れてしまった、タイトルのままの話を吐き出すだけだ。
なので、ないとは思うがこれがTRIGGERファンの総意だったり、ŹOOĻアンチの総意だったりとは捉えないでいただきたい。あくまで個人の意見です。
自分語りをつらつらと続けるので合わない人はここでページを閉じることをオススメします。
ちなみにオチもありません。
アイドリッシュセブンとの出会いは2016年お正月。
初めてのブラホワが終わりそうなそのとき、偶然友人に勧められて私は九条天と出逢った。
それまでアイドルものにはハマったことがなかった。
そもそもゲームが苦手で、ソシャゲもやったことがなかった。
オタクだったけど重厚なストーリーものが好きだったから、いわゆるタップゲーも苦手だった。
それでもやってみようと思ったのは友人に「育成ゲームでも乙女ゲームでもない!話が面白いし、何よりお前は間違いなく九条天が好きだ」と断言されたから。今でもこの友人には感謝している。
余談ではあるが、最初のバスケシーンのときに挫けそうになった(汗と根性のスポーツものも好まない)私を押し留めてくれたのも彼女だ。
本当に感謝しかない。
ビジュアルで一目惚れした九条天の出番を求めて一気にストーリーを読み進めた。
待ち望んだおかげか、ようやく彼の出番が来たときには既に大ファンだった。
しかもなんてことだろう。
そのタイミングで屋外ライブの限定カードガシャが始まった。これは運命だ。
そう思った私は人生で初めてのガシャを回した。
幸いゲームを始めたばかりでストーンはたくさんあった。
しかも30連ほどで天くんをSSR覚醒まで持っていけた。(今ならわかる。これはバンナムの罠だ。ガシャはこんなに甘くないのだ。ビギナーズラックは運営の優しさによって生まれるに違いない)
こうして私はまんまと沼に沈んだ。
それからは何よりも九条天を最優先に、わたしのオタクライフとお財布の紐は動いた。
(翌月のバレンタインカードでは既にガシャの洗礼を受けていた)
全く出なかった初めての一番くじカード、懐かしいな。上限というものがなくて、いくら課金しているのか把握していなかった。周囲に廃課金勢と呼ばれるオタクが多かったことも手伝ったんだろう。
そのうちスカウト制度という救済ができたが、意外にも活用しきれず、結局イベントや限定カードが続けば毎月アラートが鳴った。(しかもTRIGGERって誕生日と記念日が続くんですよね)
そういえばいつだったかファンが大量に出ていった某事件が起きたけど、そのときの私も「九条天が好きなんだから運営なんて関係ねぇ」のスタンスを貫いた。色んな意味で強かった。
次第に追うものはゲームだけではなくなった。
アイドリッシュセブンはどんどんリアルイベントが増えていったから、わたしはそれらに誇張なく全て行った。
コラボカフェも行ったし先着順と言われたら始発で並んだ。
我ながら熱量がすごい。
1stライブRTIももちろん現地に2days。関連イベントも含めて全力で楽しんだ。
その熱量に変化が出たのが、第3部。
正直に言おう。いまの私は既にŹOOĻのアンチだ。
何をしても気にくわない。
その感情の発端となったのは言わずもがな、TRIGGERへの誘拐監禁だった。
九条天を中心に生活を送っていた私が3部で涙を流し続けたことは言わずもがなだろう。
高級ブランドのアイドルとして売り出されたTRIGGERが堕ちる姿を見たくなかった。
そんな状況にしたŹOOĻを恨んだけど、もちろん月雲から指示があったことも理解していたし、なんなら運営の意向であることはわかっていた。ŹOOĻの4人はそう動かされているってわかっていたつもりだ。だからSNSで執拗に名前を出すことはしなかったし、ただ純粋にTRIGGERの応援だけをした。
(そもそも当事者になって気が付いたが、アイドルものでストーリーは重いだなんてセールスポイントじゃない。アイドルにはキラキラ幸せでいてほしいし、彼等にも夢だけを見ていてほしい)
当時、そんなTRIGGERファンは多かった気がする。
だからこそ1stアルバムのREGALITYがウィークリー1位を成し遂げたんだと思っている。
ファンたちが「TRIGGERが大好き」だと叫ぶのに必死だったように感じた。
私もあのときはTRIGGERを好きだと伝えるために、3人にアイドルをやっていてくれてありがとうと伝えるために、そのためだけにアルバムを何枚も買った。(大量購入を推奨しているわけではありません)(あくまで自己満足)
でもだんだんと、私はTRIGGERが好きだから他はどうでもいいんだ、と思える状況ではなくなってきた。
段々グッズも16種ランダムになって、ガシャも16人ランダム。ストーリーにだってもちろん登場する。感情が整理できないまま、ŹOOĻがコンテンツに馴染んでいく。
こんな日がくるのはなんとなくわかっていたけど、それでも納得いかなかった。
TRIGGERからステージを奪った彼らがアイドルとして活動している。
やる気のない発言をする。
どうしてこんな人達が仕事をしていて、TRIGGERが歌を歌えないんだ。そんな蟠りが募っていった。
もちろん頭の中ではちゃんとシナリオがあって、運営があってのことだとわかっている。
それでも心が狭いオタクだから、大好きだったアイドルの不遇を受け止められなかった。
九条天が泣いたあの夜を、どうしても「仕方ないよね」で済ませられなかった。
ツイッターで見かける言葉の数々。
「TRIGGERは絶望から立ち上がれる!かっこいい!さすが!」
「逆境にもTRIGGERは負けない!」
これがまた大体無断転載アイコンの無課金勢。いやそれはいいんだけど(よくない)、些細なこれらにも苛ついた。
(は?そもそも元凶がいるんだよ。なんで何でTRIGGERが苦境に立たされないといけないの?犯罪に加担した連中がどうしてのうのうとアイドルをやっているの?)
心の中で暴言を吐くことで自分を保っていた。
彼等には絶望なんか味わってほしくなかった。逆境なんていらなかった。
ずっとトップで輝いてほしかった。
そんなもやもやした心境を抱えている私をよそに、あっけなく第3部が終わった。
まぁそうだよね。
心の整理を付けられない中で始まる第4部。
少しだけ希望していたが、なかなか訪れない贖罪イベント。
始めはTRIGGERに謝ってくれさえすれば…と思っていた感情がどんどんドス黒く膨らんでいくのを自覚していた。時が経つにつれ素直に楽しめないイベントが増えていった。
それでもTRIGGERの限定カードガシャは必死でお金を出した。オタクだから知っている、作品はお金だけが全てだ。稼げないコンテンツは不要なのだ。(奇しくもソシャゲのサービス終了ラッシュも多くて不安に拍車をかけた)(しかし気付けばアイドリッシュセブンは巨大コンテンツになり、いちオタクで動かせるものではなくなっていた)
それが全て無駄かもな、と悟ったのは2ndライブREUION。
寒い夏だった。熱過ぎて熱中症を心配したほどの去年とはうって変わって曇り空。
まるで私の心境のようだった。
本番を前にして、ŹOOĻの出演が追加発表されていた。
未だ受け入れきれない彼らを目の前にして楽しめるのかわからないままの参戦になってしまった。
もちろんキャストは悪くない。ライブ中は周りに居るであろうŹOOĻファンに、私の態度が原因で天くんを悪く思われたくないの一心でなんとかペンライトを灯し、ŹOOĻの曲でも立っていた。
彼らの曲は知らなかった。
アイドリッシュセブンという作品が大好きで、私はTRIGGERのファンだったけど全ての情報を追っていたし、他グループのCDも電子配信も購入していた。だから今まで知らない曲なんてなかったのにŹOOĻだけはどうしても聞けなくて、知らぬままライブ当日を迎えてしまった。
ŹOOĻの歌は上手かった。パフォーマンスも凄かった。本当によくあそこまで仕上げてくれたと思う。既存ファンを裏切らないパフォーマンスだったと心の底から思っている。
だからこそ彼らをみて熱を下げている自分が悔しくて、でもTRIGGERが好きすぎてどうしてもŹOOĻを応援出来なくて、ぐちゃぐちゃの感情のまま私は2日間ライブの観客の中にいた。
あれはどう考えても座るくらいの振り切った過激派になれたほうがラクだったな。
アイドリッシュセブンというコンテンツへの愛が私にそれをさせなかったんだと思う。
ライブから半年経ったから言えるけど、すごい辛かった。
TRIGGERはかっこよかったし出演者の皆様にリスペクトは持っているけど、心が追いついていなかった。
2日目終盤だった。
MCの時だったと思う。
まるでTRIGGERのゲリラライブのときのように雨が打ち付けるメッゾライフドーム。
夏のライブなのに、とても寒かったのを覚えている。
「ŹOOĻ!ŹOOĻ!ŹOOĻ!」
降ってくるコールに目の前が真っ暗になった。観客の声ひとつひとつ、大きく降り注ぐそのコールに意識を絶たれるほどの衝撃だった。さっきまでTRIGGERに歓声をあげていた後ろの人がŹOOĻの名を嬉しそうに叫んでいる。
一瞬だったと思う。それが、とてつもなく長く感じた。
あ、もう無理かも。
このときのわたしは、TRIGGERを陥れた張本人たちが嬉しそうに笑う姿に確かに憎しみを抱いた。
人間は一回認めるとダメだ。
見て見ぬふりをしていた憎悪に気がついてしまった。
コンテンツを素直に愛せなくなってしまった。
じゃあやめればいい。
趣味ってそういうものだ。
飽きたり嫌いになればやめればいい。
けれど困ったことに私は九条天に飽きてもいなければ、嫌いにもなっていなかった。
大好きだ。
どうしよう、天くん自身は大好きなのに、間違いなく大好きなのに、コンテンツを愛せなくなってしまった。
冷静になりきれない感情のままREUNION限定カードガシャを無心で回した。
ŹOOĻを見直した、好きになったという言葉で溢れるSNSをシャットアウトして回し続けたガシャ。めでたく上限アラートを出したところで引き当てたのはŹOOĻのうち1人。泣きっ面に蜂だった。
それからの私は、少しだけコンテンツから距離を置いている。
第4部は最後まで読んだ。読んだけれどどうしても4人を許せなかった。
けれど同時、厄介なオタクにはなりたくなかった。
ずっと愛してきたアイドリッシュセブンという作品を邪魔したくないから距離を置くしかないと思った。
周りの友人は徐々にŹOOĻの存在を受け入れ始めているようだ。ŹOOĻを嫌いだということ=空気が読めていない、TRIGGERのモンペだといわんばかりの雰囲気になっている。
まぁ間違ってはいないと思う。
もっと気楽に応援ができればよかったのだろう。
九条天が第二部でこんなことを言う。
「いつか、ボクから他へ興味を移って、ボクのファンを止めることがあっても、ボクを応援していたこと、ボクに時間を費やしていたことは、楽しいものだったと、笑っていて欲しい」
出来すぎたアイドルである彼がこのセリフを言ったとき、そんなファンの未来まで案じないでいいよと思った。天くんを一生愛したいと思った。ファンを止めるなんてありえないとさえ思った。
そのときの感情は確かに残っているのに。
今までの応援を楽しかったと振り返ってしまう自分は果たして今も彼のファンを名乗れるのだろうか。
アイドルへの愛と、コンテンツへの愛を、切り離して考えたら救われるのだろうか。
結論はまだ出ていない。
ただ救いなのは、私が少々応援を休んだとしても傾く様なコンテンツではないことだ。
アイドリッシュセブンを愛する人は数年前とは比べ物にならないほどに増えて、都心で広告ジャックだってしてしまうし、アイナナといえば誰しもが「あぁ!」とわかってくれる。
こうやって立ち止まったファンに構わずともコンテンツは大きくなっていく。
所詮ゲームなのに、いまやここまでのプロジェクトとなり、現実と変わらない感情をファンへ味わわせるアイドリッシュセブンに畏怖の念を抱かずにはいられない。
私は来る第5部の更新をどのような心境で受け止めるのだろうか。
今はまだわからない。
未練がましく、九条天とTRIGGERが彼らの思うように輝いてほしいという一心のまま祈るようにゲームを起動する自分がいる気もする。